青いみかんの旅1
私が初めて引っ越しを経験したのは、新社会人になってから。九州の田舎から、大学を卒業して新卒で入った会社が東京にあり、実家を出たことが今まで一度として、なかった私は、不安と期待ではち切れんばかりの、心意気で自宅を後にした。
本当は不安のほうが強かったのかも知れない。長女の私は、下のきょうだいに、常日頃から、弱みを見せてはいけないという固定観念に縛られて育って来たので、歯を食いしばって、何事もなかったかのように、ただただ飄々と家族には振る舞った。随分な演出家である。
今から20年前の3月のある日である。春のぽかぽか陽気の頻度も1日2日と占める割合が増えて来た3月、その温もりの有難さを噛みしめる余裕すらなく、人生初めての引っ越し作業に追われていた。当時、バブルが終わりかけた時世ではありながら、何とか滑り込みセーフで、大企業に就職できた私は、会社が用意した一流の引越業者の行程表に、特に難癖を付けるわけでもなく、ただ、淡々と荷詰めを行っていた。比較の対象がないので、この引越業者から示されたスケジュールやパンフレットに記されているサービスについて、業界全体として、どのようなポジションであるのか、良いのか悪いのかさえ、その本質を突くような判断ができ兼ねるものであった。というのは、まるで、早生みかんのように、出荷時期は、とうに超えているのであるが、中身が未熟で、すっぱさを覚える。中には、その青さが好きという人間がいるといったふうな状況であった。
心が真っ白な未完成のものにこそ、魅力を感じるという人間は世の中には、稀ではあるが、存在するものである。引越日の予定時間、30分前には、引っ越し業者が我が実家の自宅前で待機する。見積もり時に間取りは確認済ではあるが、今一度、丁寧に室内全体をチェックし、箱の数は予定数を超えていないか、入念にチェックが入る。引っ越しというものの裏側には人間ドラマが必ずしや隠されているものであるが、業者は容赦ない。ましてや、3月頃など、引っ越しシーズン、+学生も春休みで、男子学生などは、手っ取り早い短期のアルバイト先として選んでいることもあり、とにかく機械的であるのが特徴としてある。
作業開始の定刻となると、作業員が一斉に動き出し、瞬く間に荷物を用意されたトラックの荷台に詰め込んでいく。一人暮らしなんて、荷物が多くても知れている。1時間もあれば、
余裕で、22年間暮らした実家の自分の部屋もがらんどうになるのだ。
荷物を見送ったあと、心にぽっかりと穴が空いた。この空虚な気持ちがいつまで続くのやら、未知の世界へ出発した私は、その想像すら付かなかった。青いみかんの旅は今後も続く。